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鈴木保奈美の元カレ以上に石橋貴明が焦るドラマ再共演の織田裕二 [芸能]

鈴木保奈美の元カレ以上に石橋貴明が焦るドラマ再共演の織田裕二


ここのところ再び活躍が著しい女優・鈴木保奈美に対して日々"やきもき"していると言われているのが保奈美の夫であるお笑いタレント・石橋貴明(とんねるず)だ。

というのも、貴明は21年間続いた「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ系)が今年3月に終了となり、現在残っているレギュラー番組は4月に始まった深夜番組「石橋貴明のたいむとんねる」(同)の1本のみ。

近年はマスコミからも叩かれているためか、以前は番組出演1本あたり500万円以上とも言われた高額ギャラも、現在では3分の1以下にまで凋落しているとのこと。


夫以上に多忙な保奈美


他方、保奈美のスケジュールはいつも仕事でパンパンだ。
この10月からもフジテレビ系ドラマ新番組「SUITS / スーツ」の主演をはじめ、NHKドラマ「主婦カツ!」にも出演。
ここ数年、NHKや日本テレビのドラマなどで着実に実績を重ねてきた。

このような状況下、最近の女性週刊誌でも「主夫な今」などと揶揄されていた貴明は、目覚ましい活躍ぶりの保奈美に対してどうにも複雑な心情を抱いているようなのである。


2つのドラマに出演する保奈美は、撮影のため帰宅が早朝から深夜に至るまで自宅を留守にする状況が続いているようで、一方ヒマを持て余している(?)貴明は、保奈美に対して以下のような“束縛”提案をしたそうだ。

・どんなに撮影終了が遅くなっても必ず帰宅すること(外泊禁止)
・どんなに忙しくても夕方には必ず自分へ電話すること(連絡義務)

これは……暇な自身に対して多忙な妻を束縛する〝イケてない夫〟のいかにも典型とはいえないだろうか―?

女性誌によると、貴明は後輩芸人に対して
「ウチの奥さん、まさか(ドラマを撮影する)湾岸(スタジオ)で元カレ(フジテレビ元プロデューサーで現常務取締役・大多亮??)と会ってんじゃねえだろうな…!?」
などと冗談交じりにボヤくこともしばしばだとか。

貴明の傲慢でありながらも華々しい全盛期を知っている古くからのファンからすれば、彼のこういった話題を耳にすることは本当に寂しい限りだろう。

もともと保奈美の仕事復帰に対しても貴明は当初から消極的だったようで、10年ほど前に保奈美は「女優として本格的に復帰し、再び注目されたい」と貴明に希望していたそうなのだが、貴明は「おカネなら遣いきれないほどあるんだし、そんな無理して働くことないじゃん」などと反対していたとか。

貴明自身は長らく一線級で芸能活動を続けて俺がタンマリ貯め込んでやったんだという自負があるのかもしれないが、保奈美が女優の仕事を再開したいと願った心情は、そういうこととは全く別次元の話であったに違いない。


新ドラマで〝あの〟大物俳優と再共演


そんななか、1991年の冬にフジ系列で放映された連続ドラマ「東京ラブストーリー」が9月18日から24日にかけて再放送されることになった(関東ローカル)。

ご存知の方も多いかもしれないが、このドラマは自由きまぐれな性格で真っ直ぐな恋愛をする帰国子女の赤名リカが主人公。演じるのはもちろん保奈美で、この役が彼女をブレイクさせたといっても過言ではないだろう。

はっきり率直にモノを言うリカから好意を伝えられる同僚の永尾完治(織田裕二)や、完治の高校時代の同級生である三上健一(江口洋介)と関口さとみ(有森也実)、三上の大学のクラスメイトである長崎尚子(千堂あきほ)らが絶妙に絡み合った恋を繰り広げる秀逸なラブストーリーだ。

当時の月曜9時台は街から若い人がいなくなるとさえ言われていたほどで、同ドラマの平均視聴率は22.9%、最終回に至っては32.9%(ビデオリサーチ/関東地区)という高視聴率をマーク、小田和正のボーカルが印象的な主題歌「ラブストーリーは突然に」はドラマのクライマックスに象徴的な挿入歌としても使用され、同曲は瞬く間にミリオンセラーの大ヒットとなった。

今回、同ドラマの再放送は14年ぶりとなるが、実は10月8日から新番組として放映される月9ドラマ「SUITS /スーツ」においても、主演の保奈美と織田裕二は27年ぶりに再共演することが決まっている。


再共演の織田裕二には元カレ以上にビクビク!?


このような中、イケメン俳優として名を馳せていたのみならず、保奈美と共演歴もある織田裕二に対して貴明はすっかり戦々恐々としているとも噂されている。

そりゃ、そうだろう。
まるで根拠もない〝元カレ〟との面会さえ疑心暗鬼になっているほどなのだ。

しかし、あまりにも妻に対して心配や束縛が過ぎると、円満な夫婦関係にも亀裂を生じさせかねない。

かつての夫妻ファンとしては、内外に対して夫がこれ以上〝残念な言動〟を続けてくれないことを願うばかりなのではないだろうか。

(文中敬称略)

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田中麗奈の結婚相手の医師はどんな人?名前や画像は?年収、病院、大学は? [芸能]

“なっちゃん”こと、女優・田中麗奈さん(35歳)が、かねてから交際していた一般男性と結婚したことを発表した。

つか……35歳って・・・なっちゃん、もう35にもなっていたのか!?( ゚д゚)!
ついこないだまで女子高生だと思っていたのに!(さすがに大げさか?w)。

でも、やっぱりビックリだよ。そりゃ筆者もオヤジになるわさ。歳月の経つのは本当に早いものですなぁ。。( ´Д`)


事務所によれば、知人の紹介で知り合い、昨年の夏に真剣交際がスタート。お相手は40歳の医師とのこと。
お互いに落ち着いた年齢ですし、5歳の年齢差はちょうどお似合いかもしれませんね。

さてFAXを通じて、田中麗奈さんは、
「私事で大変恐縮ではございますが、私、田中麗奈は、本日2月5日にお付き合いさせていただいておりました方と入籍しました」
と報告、
「彼の誠実で穏やかな人柄に惹かれ、自然な形でこのような運びとなりました」
とコメントした。今後は
「良き理解者とあたたかい家庭を築きつつ、仕事の上でもより一層作品一つ一つに真摯に向き合っていきたいと思っております」
と気持ちを新たにし
「応援してくださっている皆様、関係者の皆様、今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます」
と直筆サインと共に結んだ。


お相手のは「スポーツマンタイプのお医者さんで明るい性格」だそうなんだが、
この表現をそのまんま受け取ると……ヲイヲイ、めっちゃイケメンやないかい!(#゚Д゚) ノロケかいっ!!

けど、今年・2016年になってからは、ベッキーと川谷絵音の不倫騒動から始まって、
SMAPの解散騒動、甘利大臣辞任、最近では清原和博容疑者の覚醒剤事件に至るまで、
ネガティブな話題ばかりでしたが、こういう明るいニュースはやはりいいものですね。心を軽くしてくれます♪(´∀`)


話を戻すと、田中麗奈さんの結婚相手(旦那さん)は、一般男性とのこと。

そして、何を今さら言わずもがなの話ですが、田中麗奈さんは典型的な美人女優ですので、
そんな彼女をゲットした結婚相手ダンナとは一体どれぼとのイケメンなのか!? どんなルックスなのか!?
どんな人物で、年収はいくら? どのぐらいなのか??
名前は?写真画像はないのか??
出身大学は? 勤めている病院名はなんというのか??
……等々についても(相変わらず下世話だが…orz)やはりついつい気になってしまうところなのであ〜る。

最新情報では、どうやら東京都内の病院に勤務しており、副院長を務めている細マッチョの超イケメンということらしい。


というわけで、さっそく調査開始♪
















…… ちょ、調査、調査・・・ :(;゙゚'ω゚'):























……しまくってみたものの、ちっとも情報が出てきやしない!!!!! (;´д`)


ジャーン!

田中麗奈さんの結婚相手(夫/亭主/旦那/ダンナ)最新情報!
名前:「佐藤タケシ(文字不詳)」
勤務先病院名:「佐藤クリニック(東京都世田谷区)」※内科/小児科。開業医!
年収:「3千万円(推定)」

……ぐらいのことは、当然、書いてお伝えしたかったわけですよ・・・

しかし、残念ながら上記は全て架空の情報です。

だって、珍しく情報まったく入ってこないんだもんさ!!!!!(><)


えぇ、そうですよ? えぇぇ、そうですとも(開き直り)
ないものは書けない。ない袖は振れぬ。

同じお医者さんでも、ジャガー横田さんのダンナ(大学病院元勤務)みたいに、そのうちぜひ表に出てきてくれると大変ありがたいんですけどね。
(って、勝手なことばかり言うなやぁああああ!!?!)
今のところ、画像写真などプライベートな情報は一切公開していないようです。


ということで、本件、本日ここまでの現時点では何も成果なし・収穫なし!ということで……(´・ω・`)ショボーン

(ともあれ)田中麗奈さん、このたびはご結婚まことにおめでとうございます!
心から御祝いのほど申しあげます。


追伸:
高橋一生はどうなった…?


【田中麗奈さん略歴】
1998年にサントリーの清涼飲料『なっちゃん』のCMで注目を集め、同年映画『がんばっていきまっしょい』に初主演。以降、映画を中心にドラマ、舞台などで幅広く活躍。昨年大河ドラマ『花燃ゆ』に出演、現在放送中のNHK連続ドラマ『愛(いと)おしくて』でも主演を務めている。
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吉田明世、ピル服用で熱愛中の彼氏と半同棲を認めた!【画像アリ】そのとき徳井は…? [芸能]

今日から「副業」はじめよう!


写真週刊誌FRIDAY(フライデー)で、広告代理店に勤務する彼氏との熱愛が報じられたばかりのTBS吉田明世アナ。

吉田明世熱愛.jpg 画像(写真)出展:http://friday.kodansha.ne.jp/archives/71579/


吉田明世アナといえば、「サンデー・ジャポン」に出演中の人気アイドル女子アナだ。

吉田アナは、同局の朝の情報番組「白熱ライブ ビビット」に生出演して、FRIDAY(フライデー)に激写された自身の交際を認めた。

同番組ではオープニング直後のトップニュースとして扱い、半同棲していることや、ほんの2週間前に2人で吉田アナの姉の結婚式に出席していたという記事の内容も紹介。

番組MCの国分太一と真矢ミキから交際について訊ねられると、
「そうですね。否定も肯定もするなと言われているのですが、(FRIDAYの直撃取材に対して)動揺して『はい』と言ってしまいました。誤魔化すこともできなかったです」
と、意外にもアッサリと交際を認めた。

直撃取材を受けた瞬間については、
「今週の月曜日(2月1日)に受けて…その日の『ビビット』はうわの空になってしまった」
と告白、スタジオは爆笑に包まれた。


寝ながらできる!!お小遣い稼ぎ


さて、この熱愛中の彼氏とやらだが、いったい誰? どのような男性なのだろうか?

FRIDAY(フライデー)によると「大手広告代理店」とあるので、
勤務先は「電通」か「博報堂」、はたまた「ADK」といったところだろう。
これ以外になると、さすがに「大手」とは呼びにくいので・・・

男性の年齢は32歳で、現在は吉田アナと半同棲中、週のうち3~4日は吉田アナのマンションから出勤している模様だ。

こりゃあ、さぞや“夜の生活”もお熱いことでしょうなぁ。
ピル服用というウワサも頷けますな。
人気アイドル女子アナと毎日のように○○放題なんて、男性諸氏にはなんとも羨ましいかぎりの話ですなぁ。
推定BカップともCカップともいわれる吉田アナの美乳バストを自由にできるのは、この彼氏だけなのですな。
…って、大きなお世話だ!下世話だ!(笑)

スクープされたのは、土曜日の昼下がりで賑わう東京は麻布十番。
ブラックのショートブーツにお洒落な小豆色のハット、
ゆったりとしたロングコートに身を包んだ吉田アナ。
そして、その隣には彼女とペア(?)ハットを被ったモッズコート姿の男性……。

これ以上ないほど幸せという嬉しそうな表情で、自然と彼氏に腕を絡みつける吉田アナ。

かつて熱愛を噂された?徳井義実(チュートリアル)さんに、ぜひ感想を伺ってみたいものです!w
 
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【全文(5)終】中居正広が2週連続ラジオで父親の壮絶な末期がん闘病と最期の日々を語る…体重20キロ台「生き地獄」 [芸能]

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(中居正広さんの父)正志さんが亡くなった後は週に2~3度ほど実家の整理をおこなっていたこと、
現在は落ち着いてきたものの、亡くなった今も何度も正志さんの夢を見たことを語り、

「なかなかうちのオヤジは手強いですね」
「何回も見たんだけど、生きてんじゃんっていう夢を見るのよ。
 これ、起きたときのショックっていうのが……(大きい)」

などと、しみじみと心境を振り返った。

正志さんへの思いをたくさん綴った手紙を棺の中に入れて
一緒に焼いてもらったことも明かした。

2週に渡って亡き父親との思い出を語った同番組の最後では、

「いいお父さんだったよ」
「あっちの世界でも元気にやってるんじゃないかな」

と、心を込めて締め括った。

中居正広(談):

亡くなった後も、週2~3回行って。捨てるものもあったから。
なかなか1人でやるのもヘビーで。ゴミ袋だけで20~30個分あるからね。
でも、チビたちがね、たまに来てくれて。春休みだったから、手伝ってくれて。

高さ1メートル、奥行き30センチ、横20センチくらいのボードがあって。
書類入れみたいなので、薄い引き出しで、どんな書類入ってんのかって思ったら、
みんなTシャツ入ってんのよ(笑)
1枚1枚(笑)Tシャツとか、ゴルフ用のポロシャツが1枚ずつ入ってて。几帳面かって。

でも、なかなかウチの親父は手強いですね。夢見るのよ。
何回も見たんだけど、「生きてんじゃん」って夢を見るのよ。
これ、起きたときのショックっていうのが……
「あれ?なんだよ、生きてんのかよ」って、遊んでるんだよね。

目が覚めたとき、わけわかんないよね。
「どっちが夢かな? こっちが夢かな?」って思っちゃう。
起きたときが夢かなって思っちゃう。

「あ…そうか、死んでんだ」って。
だからもう、2月から3月って、特番シーズンだったんですけどね。
なかなか手強かったですよね、お父さんは。
でも、いいお父さんだったよ。最後ね、お棺の中で手紙を書いて。
お父さんへの思いをいっぱい書いて、一緒に焼いてもらったかな。

そんなんで、落ち着いたということなんで、
このような時期に、お伝えすることになったんですけども。
テレビにも、『27時間テレビ』とか、『めちゃイケ』とかも出てたしね。
ライブとかのVTRとかも出てたりしたから。
(事情を)知ってる方もいらっしゃるのかなって思いますけど。

あっちの世界でも、元気でやってるんじゃないのかなって思いますけども。

いろいろと、お父さんの話とか、この番組等でお伝えさせていただきましたので、
とりあえず2月19日に亡くなったこと、ご報告させていただきました。 (終)

あらためて、中居正志さんのご冥福を心からお祈り申し上げたい。

1日1時間で1億円稼ぐ川島和正

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【全文(4)】中居正広が2週連続ラジオで父親の壮絶な末期がん闘病と最期の日々を語る…体重20キロ台「生き地獄」 [芸能]

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正志さんの亡くなる1ヶ月ほど前に収録をしたというテレビの特別番組:
「中居正広の『終活』って何なの? 僕はこうして死にたい」(フジテレビ系)
は、死を迎えるまでにどのような準備を整えておくべきかを学ぶ番組で、
この収録に際しては、

「この時期に厳しいテーマだな…」

と感じていたことを告白。

番組の収録前に正志さんが救急搬送され中居が病院に出向くと、
正志さんは台本に興味を示したそうで、

「これなかなかタイムリーなんだけど、今日の収録でさ
 『僕はこう死にたい』って番組なんだよって。そうしたら台本見せてくれっていうの。
 これ厳しいぜ、死ぬ準備をどうするかっていう内容だから、と。
 でも『見せてくれ』って。じゃあいいよ、2冊あるからこれ1冊(あがるから)なって」

その後、正志さんが2月19日に亡くなり、
翌日は友引だったためお通夜が21日におこなわれたが、
この日が奇遇にも同番組のオンエアの日だったそう。

「お通夜終わったら家でやっぱりみんなで見るのよ、それ。でも俺、見れなくてさ…」

と、かすれた声で当時のことを振り返った。

偶然にも父が死去した2月19日は甥(長兄の子供)の誕生日で、
遺産相続のために戸籍を調べていたところ、両親の結婚記念日も2月21日だったことが判明。

「こんなことあるかな」

などと偶然に驚きながら、

「こんなに数字がそろったら忘れるわけがない。
 お父さんは素晴らしい人生を送ってきたから、
 この日を忘れないように神様が与えてくれたんじゃないかな」

と、大好きな父親を改めて偲んだ。

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中居正広(談):

面白いもので、(父親が)亡くなる1ヶ月くらい前に、
僕の番組で、「僕はこう死にたい」っていう特番があって。

たまたまなんだけど。
本当は、去年の夏にやるって言ってたんだけど、ズレてこうなって。

俺の中では、なかなか厳しいなぁって思って。タイムリーだなぁって思ってて。
でも、「仕事モードになれば大丈夫だ」って思って。

その夜も(実家へ)遊びに行って。
(父親の勧める酒を)飲んじゃって、帰れねぇやってなって。
次の日、その収録があって。
台本、かばんの中に入れてなかったのよ。休みだったから。
家に帰って、入れて次の日に行けばいいと思ったんだけど。

「朝帰って、根性でやればいいか」って思ってたんだけど、
その日、バタバタって聞こえて。「どうした?」って訊いたら、
「もうダメだ…」って言うから。
「救急車か?」「救急車」って。それでまた行って。

点滴打つっていうから、その間にどうしようかなって言ってたら、中澤さんが来てくれて。
台本を持ってきてくれて。点滴してるときに見てたら、「それ何だ?」って。
「いや、なかなかタイムリーなんだけどさ、今日の収録でさ、『僕はこう死にたい』って番組やるんだよ」って。

「それ、台本見せてくれ」って言うんだよ。
「いや、これ厳しいぜ。死ぬ準備をどういう風にしていくかって番組だよ」
「いや、見せてくれ」って。
「いいよ。じゃあ、2冊あるから、これ1冊な」って(渡した)。

そんなんで、結局、オンエアは観れなかったのかな。
2月19日に亡くなり、次の日がお通夜だったんですけど。
友引があって、1日ズレたのかな。
21日がお通夜で、22日がお葬式。
それで4月8日が四十九日だったのかな。

そしたらさ、2月19日が、甥っ子の誕生日なんですよ。一番上の兄ちゃんの子供。
22日が、姪っ子の誕生日なの。
19日に亡くなるってこともあるし、友引があって、ズレてお葬式になるっていうね。

それで、お通夜の日が、「僕はこう死にたい」っていうオンエアの日なの。
お通夜終わって、家でみんながやっぱりそれを観るのよ。俺、観れなくてさ。
4月8日が、2番目の兄ちゃんの子供の誕生日で。
こんなに重なることがあるのかなぁって。

でも、その後に遺産相続とかあるから、銀行に行ったりとか。
戸籍が必要だからって、北海道の戸籍、藤沢の戸籍とか。
そうしたら、川崎に住んでた戸籍とか出てきて。
よく見たらさ、ウチのお父さんとお母さんの結婚記念日が、お通夜の日の2月21日だったの。

こんなことあるかなって。いろんなこと、忘れるわけないよね。
この数字が揃っちゃったら。
それだけお父さんは、素晴らしい人生を送ってきたから。
忘れられないようにって、神様が与えてくれたんじゃないかなって思うけどね。

つづく

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正志さんが亡くなる5日ほど前に実家で中居自身の作ったカレーが最後の食事となったと語り、

「3口くらい食べたかな、『うまい』って。たぶん味は分かってなかった。
 味覚ないから。結局、最後のご飯が俺のカレーだったかな」

などと、しみじみ思い出を振り返った。

中居正広(談):

亡くなる5日くらい前かな。地元に行った次の週の土曜日かな。
「何しよう」って。お父さんの家に帰る計画を考えてるからなって。
ずっと帰ってなかったから。とにかく、万全の体調を病院でやって。

「あのメシ、また持ってくるからな」って。それが最後だったのかな。
忘れもしない、前の日が『Mステ』だったのかな。『華麗なる逆襲』をやったときかな。
その次の日から、「仕込みだ」って。
カレーを具材だけ買って切って、あとは入れるだけにしておこうって。
炒めて、そのまま置いておいて、みたいな。

あとは“バクダン”っていって、
お父さんが好きなマグロとタコとイカとホタテとエビを微塵切りにして。
納豆で混ぜて、それをノリで巻いて食べるっていうのがあって。
それと、イカとショウガとミョウガの、いつものパターンだろうって。
あとは、焼き鳥を買ってきて、細かく切っておいて。

それで(父親の家に、父親と)泊まろうかなって思ったんだけど、
夜中3~4時くらいに帰ったかな。次の日も、昼くらいに病院に戻ったんだけど。
「しんどい、しんどい」だったから。

その時、10人くらい来てて。東京の友達、地元の友達とか。
ほんで、マンションの玄関の下まで来てるんだけど、「無理だ」って。
「なんでだ?」って。「どうした、パパ。もう家、そこじゃんか。どうした?」って。
「無理だ。苦しい」って。

「じゃあ、帰ろうか」って。
それで、また筆談で「俺は生きてきてな…」って。
「分かったから。じゃあ、帰ろうか」って。
それで、「じゃあ、帰ろうか」って言ったら、「いや、やっぱり行く」って書いて。

「行くか」って。「そのかわり、大人5人くらい必要だ」って。
「任せてくれ、大人10人以上いるから」「そんなにいるのか、今日」って。
それで、布団ごと車椅子に乗せて。

「色々作ったけど、何が食べたい?」「カレー食べたい」って。
「ご飯は?」「ルーだけ食べたい」って。
それでもね、最後、何日か前からずっと何も食べてなかったから。
3口くらい食べたのかな。
「もう一口くらい食べるか?美味いか?」って言ったら、「美味い」って。

でも多分、味は分かってなかったね。もう味覚がないから。
俺が作ったのにっていうプレッシャーで食ってくれればいいなって思ったの。
せっかくヒロちゃんが作ったんだからって、食わざるをえないって感じで、
無理して食べてくれたんだろうなって。
結局、それが最後だったね。最後のご飯が、俺のカレーだったかな。

亡くなるときも、体重も20キロ台だったかね。骨でしたね。

それで、地元戻った時のビデオをみんなで観て。編集してさ。
カーペンターズが好きだから、カーペンターズのBGMを編集で入れて。
でも、途中でもう、目を瞑ってたね。

それから病院戻って、3~4日くらいで亡くなったんだけど。
その間、目を覚ますことはなかったね。
多分、だから、あれは最後に力を振り絞ったんじゃないかな。

つづく


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この日、中居は正志さんが亡くなる約1カ月前から亡くなった後までを中心に語った。

冒頭では、ネットニュースなどで父親の件が大きく報じられたことを驚きを示し、

「そんなつもりじゃなかったのに」

と話しつつ、正志さんが亡くなる10日ほど前に
生まれ育った神奈川・藤沢の鵠沼(くげぬま)や辻堂へドライブに出掛けたエピソードを明かした。

父から「ドライブをしたいな」というメールを受け取った中居は、
車椅子で移動する父でも楽に移動ができるよう、フルフラットになる
ワンボックスカー(中居の所属事務所の車)2台を手配。

幼少時のアルバムを持参してドライブへ出発、昔の写真を再現するかのように、
2人でキャッチボールや素振りをした各地を巡ったことも吐露。

5時間しか外出許可がなかったため、慌ただしいスケジュールとなったものの、
「楽しかった」としみじみと振り返った。

「最初鵠沼へ行ったのかな、僕の小さい頃のアルバムを持って行って。
ここで壁当てしたとか素振りしたとか再現して。写真照らし合わせながら。
オヤジもちょっと興奮したりして」

と、一言一言、噛み締めるように振り返り、

「それに行けたのがよかったな…」

などと呟いた。

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中居正広(談):

僕たちには何ができるのかなって。亡くなる10日くらい前に、「藤沢に行こう」と。
僕の生まれ育ったところ、藤沢に行って、生まれ育ったところを回ろう、と。

鵠沼(くげぬま)と辻堂に行こう、と。それでこれはウチの会社にも助けてもらいまして。

「ヒロちゃん、そろそろドライブでも2人でしたいな」ってメールは来てたのよ。

俺はその日は無理だったのかな。

「おお、良いね。どういうコースが良いか考えといてな」ってメール送って。
そしたら、「なんだ、今日じゃないのか?」って。
「今日じゃないと、ダメなような気がするな」って。「行けるよ、行けるよ」って。
2人では、やっぱり行かなかったのかな。誰かしらのチビがいたりとか。

地元に行こうってことで。ウチの会社の移動車って、でっかいワンボックスカーみたいなんで。
それを2台。パパは、フルフラットで。毛布で包んで。
もうね、包まれすぎて熱いんじゃないかってくらい包んで。

お父さん、その時期から…1月中旬くらいからずっと車椅子だったんで。
最初、鵠沼行ったのかな。僕の小さい頃のアルバムを持ってって。
そしたら、その住んでるところで、「野球をやったところだ」とか。壁当てだとか。
「俺、ここで素振りやってさ」ってところをぜんぶ再現して。

「ここ、オヤジ覚えてるか?」って。写真と照らし合わせながら、そこに立ったりして。
「ここで死ぬほどやったなぁ」って。オヤジもちょっと興奮してるのかな。

でも、その時、外出許可で「5時間しかもちません」って言われたのよ。
呼吸が多分、もたなくなるって。だから、12時に出て、1時半に着いて。2時間は居れるって。

生まれ育ったところに行って。それがまぁ、楽しかったかな。
お父さんも楽しかったんじゃないかな、アレ。
「お前、ここでケンカしてさ」みたいな話してて。
「俺は覚えてねぇよ。野球しか覚えてねぇよ」って。

「ここで思い切りオヤジが打って、あそこのおばちゃんの家に(ボールを)入れちゃってさ。
オヤジが入れたのに、俺がとりに行って、俺が怒られてさ。
『パパ、パパ』って言ったのに、オヤジ来てくんなかったの、俺、スゲェ覚えてるよ」
って言って、大笑いしてたけど。

「じゃあ、次、辻堂行こうか」って、辻堂に行って。
「ここで酔っ払ってさ、血だらけで帰ってきたよな」って。
ゆるい坂道で、下ったところでウチなんだけど、金網みたいなところがあって、
そこにガガガっって当たってきて、血まみれで帰ってきて。
「お父さん、どうしたの?」「わかんない。気がついたら、血が出てて」って。
次の日になったら覚えてないって。

それから神社行って。行ったら、パパが「ギブ(アップ)だ」って。「病院へ戻してくれ」って。
その時もね、「病院に戻してくれ」って言ったの始めて聞いたのかな。
「家に帰りたい」じゃなくて、「病院に戻してくれ」って。相当苦しかったんじゃないかなって。

つづく


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SMAP(スマップ)の中居正広(42歳)が去る2015年2月19日に
実の父親・正志さん(享年79歳)を癌(がん)で亡くしていたことを
自身がパーソナリティを務める前週のラジオ番組
「中居正広のSome girl’SMAP」(ニッポン放送・土曜午後11:00から)
で前週に告白していたが、今週5月16日放送の同番組においても
父・正志さんの死について改めて詳しく語り、思い出を振り返った。

先週の放送では、
「2月19日に私のお父様が亡くなりました。享年79、4月2日に80歳だったんですけど、
 80前に亡くなりました。四十九日を4月8日に滞りなく済ませました」
と報告。

先週の過去記事で詳しく書いたが、
正志さんはジャニーズタレントの家族としては極めて異例の存在で、
「27時間テレビ」「めちゃイケ」などのバラエティー番組に数多く出演。
3人兄弟の末っ子である中居のことを愛情を込めて「ヒロちゃん」と呼ぶなど、
微笑ましい親子のやりとりを展開した。
SMAPファンにとどまらず、広く一般の視聴者にも好評を博していた。

正志さんは2013年2月に肺がんと診断され、3月に片方の肺の摘出手術。
同年秋にリンパに転移し、放射線治療などを経た後、
昨年5月か6月には喉頭がんが見つかり、8月に手術を受けた。
手術から治療期間、退院して一緒に過ごした期間などを振り返ったが、時間が不足し、
最期の1ヶ月については
「来週、話そう」と締めくくっていた。

今週の番組では、より一層に詳しく最期の日々について語り、
亡くなる前に正志さんが「家で過ごしたい」と病院を嫌がり
「ホスピスに入れてくれ」「今日の苦しみはもうダメな苦しみだ」
などと弱音を吐いていたこと、
「闘病生活、介護生活とはこういうことなんだ」
と痛感したことを正直に振り返り、
その壮絶な闘病については、「生き地獄」とさえ表現した。

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中居正広(談):

先週、僕のお父さんが今年2月19日に79歳にして亡くなりまして。
お葬式も密葬で、四十九日も滞り無く終わったということで、
僕にとっても、だいぶ落ち着いてきたということで。
この時期の報告になって、申し訳ないな、と思いながら。
ちょっと、時期をずらさせていただきました。

先週、亡くなる1ヶ月くらい前まで話したのかな。入退院をずっと繰り返して。
まさに闘病生活ってこういうことなのかなっていうのと、家にいるときは介護だよね。
介護生活って、こういうことなんだなって。

本当はこんなこと言ったらアレですけど、僕はこの8月に入院して……
……3ヶ月入院して、それから入退院を繰り返してるパパを見てたらね、
本当に申し訳ないけど、生き地獄だね。ずっと痛いんだって。ずっと苦しいんだって。

それで、いつもメールがさ、去年、3ヶ月入退院を繰り返してから、
ケータイを開けただけで、「元気ですよメール」っていうのが送られてくるようにして。
「起きたよ」って。それがさ、また朝早いんだ。
パカって開けただけで、「パパ 元気ですよメール」っていうのがね、送られてくるのよ。
「あ、今日、起きたんだ」って。

それで、メールでやりとりしてても、
「今日の苦しみは、もうたぶんダメな苦しみだ」とか。
「もう、ホスピスを頼んでくれ」とか(笑) いろんなのがきて。
こっちも、気持ちが沈むんだよね。
でも、沈んでる場合じゃないっていうか。
親父は、もっと苦しい思いをしてるから。

「耐えられない」とか言ってる場合じゃないなって。
病院に行けば、また違うスープを作って。クラムチャウダーとか。
野菜…にんじんだとか、玉ねぎを細かくしたコンソメスープとかさ。

面白いことに、最初に持って行った水筒があるじゃん。水筒型弁当あるでしょ。
食べ終わるのが、2日間くらいかかるかなって思ってさ。
次、作ろうと思ったら、弁当箱がないの。それでまた、買いに行かなきゃいけないの。

「また、これ食べな」って言って。
その日、(弁当箱を)持って帰ればいいんだけど、忘れちゃうの。
また買わなきゃいけなくて。弁当箱、4つ買ったからね(笑) ぜんぶ同じなの。
温かいのをずっと保存できる水筒と、冷たいのを保存できる水筒っていうのがあって。

つづく

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中居正広の実家の家族構成は、実父親・実母親・実兄2人・中居本人の5人家族。

このたびお亡くなりになったことが判明した父親の正志さんに、
母親の中居絹代さん、長男の兄の中居イサオさん、次男の兄の中居マサユキさん。


中居の父・正志さんの職業は(ご本人いわく)ごく普通のサラリーマンで、
右目の上辺りに傷跡があるなど、パッと見はちょっと怖そうに見えるけれども、
実際の性格はとても優しい父親だったようだ。

ちなみに右目の上の傷(24針も縫ったとのこと)は、
幼い頃に馬から落ちた時にできた傷であるらしいことを、
中居が以前「笑っていいとも!」(1996年6月14日放送)で語っていた。


中居の母・絹代さん(年齢は不明)は、
しっかりした母親で、子どもの躾けには非情に厳しく、常に働いていたという働き者。
前記事で書いたように、正志さんだけの収入では家族を養っていくのは厳しかったため、
母親の絹代さんも家計を支えるためパートで働いていたようだ。

中居がテレビなどで母のことを語ることは滅多にないが、
「コンサートに来たら、膝を開けて座ってスルメイカを食ってるんだぜぇ~」
などと明かしたこともある。

また、絹代さんは3人目の子どもは女の子を望んでいたらしく、
そのため3男として生まれた中居正広のことを女の子のように育てたかったのか(?)
中居が幼少の頃の写真には、スカートを履いている写真も残っているそうだ。

一番上の兄の中居イサオさんは、年齢は中居よりも5つ年上で、
中居が大好きな「お兄ちゃん」。
既に結婚して3人の子供にも恵まれ、奥さんの実家の静岡県で暮らしているという。
職業については、運転手やスーパー勤務など諸説あるが、真相は定かではない。

イサオさんは子供の頃はかなりやんちゃなヤンキーだったようで、
中居もその影響をかなり受けたようだ。


一番上の兄イサオさんと中居が活発なタイプであるのに対して、
二番目の兄の中居マサユキさんは文化系だったとのこと。

中居からはいつも「ひ弱」などとからかわれているマサユキさんだが、学業は優秀。
高校卒業後は一浪して明治大学に入学。
就職してサラリーマンとなった後も、
しばらくは母親の絹代さんと一緒に藤沢に住んでいたとも言われている。


いずれにしても、中居家はとても仲の良い家族のようだ。

一般的に、なかなか家族の情報がオープンにならない芸能人
――しかもジャニーズのなかでも最高に有名なグループのリーダー――
にあって、中居の家族はずいぶんオープンなほうだといってよいだろう。

私見だが、中居ほど自分の家族をよく話題にするジャニーズも珍しいと思う。

とりわけ父親・正志さんは、話のなかに登場するだけでなく、
しばしばご本人が実際にテレビに登場することもあった。
このようなジャニーズアイドルも、あまり前例がないんじゃないだろうか?

もちろん、昨今のバラエティー番組にあっては
私生活の部分もさらけ出さなければならないという人気商売ならではの事情もあるだろう。

ところが、父親とのエピソードを話して、
父親と共に番組に出演しているときの中居は、
そんなこととは関係なく、心底嬉しそうなようすにも感じられた。



ジャニーズのメンバーであることと家族への愛情とは、
中居のなかでは当たり前のこととして、ごく自然に共存しているのかもしれない。

「けっして裕福ではない家庭で育った」
という中居は、デビューした月から毎月1万円をコツコツ貯金し、
95年末までに貯めた50万円を実家に帰って置いてきたという逸話もある。
父・正志さんへ外車をプレゼントしたこともそうだ。

これほど家族思いな中居にとって、
最愛の父・正志さんの死は、言葉には表せないほど辛かったことだろう。


あらためて、正志さんのご冥福を心からお祈り申し上げたい。





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中居正広が父・正志さんの壮絶がん死をラジオで告白…手料理で父の闘病を支え
で書いたように、
SMAP(スマップ)仲居くんの父・中居正志さんが2月に死去していたことが明らかになった。

故人を偲ぶ意味でも、バラエティー番組にも出演していたという
父・正志さんのプロフィールについて、当記事では触れてみたい。

正志さんは1935年(昭和10年)生まれ、出身は北海道の岩内町出身で、同町には
かの有名な文豪・夏目漱石や、歌手の中島みゆきさんも在住していたことがあるようだ。

岩内町は人口1万5千人と小さな町だが、
正志さんはこの故郷に愛着があるようで、東京に住んでいるときにも
都内で実施されていた岩内町内会に喜んで参加していたそうだ。

以前、正志さんがバラエティ番組「めちゃイケ」で中居正広さんと共演した際は
首に白のタオルを巻いて出演しており、
まるで北海道の大自然の中にある畑を想像させるかような風貌であった。


正志さんの仕事(職業)は、インタビューにてご本人いわく
「普通のサラリーマン」だったらしいが、
(ただ、正志さんは働くこと自体が嫌いだったようで、職を転々としていたともいわれる)
中居本人の過去の発言によれば、かつての中居家はかなりの“貧乏”家庭だったようだ。

・腹一杯ご飯が食べられなかったため、水道水をご飯にかけた
 『水かけご飯』を食べて空腹を満たしていた。
・同様の理由により、中居兄弟は「バターと醤油で『バターご飯』や、
 チューブ入りのワサビと酢をかけての『ワサビご飯』を考案した。
・リンスは、まず洗面器にお湯を張り、薄めてから髪の毛につける。
・自宅は天井が低く、間取りは4畳一間と3畳半一間の狭い家で、
 1部屋で一家5人が寝ていた。

さらに、中居いわく、父親・正志さん関係するエピソードはこうだ。

「(我が家は)週2回しかお風呂に入ることができなかった。
 日曜日は必ずなんだけど、その前は水曜日か木曜日なの。
 お風呂っていってもシャワーはないから、夏場でも水曜日か木曜日なの。
 そうすると水・木に(中居家の)3人兄弟全員が授業でプールの日になると、
 夏でもお風呂(入浴の機会)がなくなるのよ。
 で、オヤジがブチ切れて
 『お風呂に入らせろー!現場にプールはないんだよ!』
 って真水でブルーのホースで寒がりながらシャワーを浴びてた。
 真水だから夏でも寒いんだよ。」


また、外食といえば、
牛丼の吉野家は価格が高いため利用できず、
たまにマクドナルドへ行けるぐらいであったとのこと。

マクドナルドでも、一番値段の安いハンバーガーと、
ドリンクもSサイズしか注文してはいけなかったそうだ。

(たしかに、中居よくバラエティー番組等で、
 「値段の高い肉が好きではなく、安い肉のほうが美味しい」
 などと言っていた気がする・・・)


過去には、そのような“貧乏”生活を送っていた中居であったが、
その後SMAPで大成功を収め、正志さんに何百万円もする高級外車を贈っている。

2人の強い絆が垣間見えるだけに、
やはりこのたびの悲しみの深さは一体いかばかりかと思わずにはいられない。

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