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中居正広の父・正志さんの出身地・誕生日・仕事(職業)などプロフィールは? [芸能]

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前記事
中居正広が父・正志さんの壮絶がん死をラジオで告白…手料理で父の闘病を支え
で書いたように、
SMAP(スマップ)仲居くんの父・中居正志さんが2月に死去していたことが明らかになった。

故人を偲ぶ意味でも、バラエティー番組にも出演していたという
父・正志さんのプロフィールについて、当記事では触れてみたい。

正志さんは1935年(昭和10年)生まれ、出身は北海道の岩内町出身で、同町には
かの有名な文豪・夏目漱石や、歌手の中島みゆきさんも在住していたことがあるようだ。

岩内町は人口1万5千人と小さな町だが、
正志さんはこの故郷に愛着があるようで、東京に住んでいるときにも
都内で実施されていた岩内町内会に喜んで参加していたそうだ。

以前、正志さんがバラエティ番組「めちゃイケ」で中居正広さんと共演した際は
首に白のタオルを巻いて出演しており、
まるで北海道の大自然の中にある畑を想像させるかような風貌であった。


正志さんの仕事(職業)は、インタビューにてご本人いわく
「普通のサラリーマン」だったらしいが、
(ただ、正志さんは働くこと自体が嫌いだったようで、職を転々としていたともいわれる)
中居本人の過去の発言によれば、かつての中居家はかなりの“貧乏”家庭だったようだ。

・腹一杯ご飯が食べられなかったため、水道水をご飯にかけた
 『水かけご飯』を食べて空腹を満たしていた。
・同様の理由により、中居兄弟は「バターと醤油で『バターご飯』や、
 チューブ入りのワサビと酢をかけての『ワサビご飯』を考案した。
・リンスは、まず洗面器にお湯を張り、薄めてから髪の毛につける。
・自宅は天井が低く、間取りは4畳一間と3畳半一間の狭い家で、
 1部屋で一家5人が寝ていた。

さらに、中居いわく、父親・正志さん関係するエピソードはこうだ。

「(我が家は)週2回しかお風呂に入ることができなかった。
 日曜日は必ずなんだけど、その前は水曜日か木曜日なの。
 お風呂っていってもシャワーはないから、夏場でも水曜日か木曜日なの。
 そうすると水・木に(中居家の)3人兄弟全員が授業でプールの日になると、
 夏でもお風呂(入浴の機会)がなくなるのよ。
 で、オヤジがブチ切れて
 『お風呂に入らせろー!現場にプールはないんだよ!』
 って真水でブルーのホースで寒がりながらシャワーを浴びてた。
 真水だから夏でも寒いんだよ。」


また、外食といえば、
牛丼の吉野家は価格が高いため利用できず、
たまにマクドナルドへ行けるぐらいであったとのこと。

マクドナルドでも、一番値段の安いハンバーガーと、
ドリンクもSサイズしか注文してはいけなかったそうだ。

(たしかに、中居よくバラエティー番組等で、
 「値段の高い肉が好きではなく、安い肉のほうが美味しい」
 などと言っていた気がする・・・)


過去には、そのような“貧乏”生活を送っていた中居であったが、
その後SMAPで大成功を収め、正志さんに何百万円もする高級外車を贈っている。

2人の強い絆が垣間見えるだけに、
やはりこのたびの悲しみの深さは一体いかばかりかと思わずにはいられない。

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