【全文(2)】中居正広が2週連続ラジオで父親の壮絶な末期がん闘病と最期の日々を語る…体重20キロ台「生き地獄」 [芸能]
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この日、中居は正志さんが亡くなる約1カ月前から亡くなった後までを中心に語った。
冒頭では、ネットニュースなどで父親の件が大きく報じられたことを驚きを示し、
「そんなつもりじゃなかったのに」
と話しつつ、正志さんが亡くなる10日ほど前に
生まれ育った神奈川・藤沢の鵠沼(くげぬま)や辻堂へドライブに出掛けたエピソードを明かした。
父から「ドライブをしたいな」というメールを受け取った中居は、
車椅子で移動する父でも楽に移動ができるよう、フルフラットになる
ワンボックスカー(中居の所属事務所の車)2台を手配。
幼少時のアルバムを持参してドライブへ出発、昔の写真を再現するかのように、
2人でキャッチボールや素振りをした各地を巡ったことも吐露。
5時間しか外出許可がなかったため、慌ただしいスケジュールとなったものの、
「楽しかった」としみじみと振り返った。
「最初鵠沼へ行ったのかな、僕の小さい頃のアルバムを持って行って。
ここで壁当てしたとか素振りしたとか再現して。写真照らし合わせながら。
オヤジもちょっと興奮したりして」
と、一言一言、噛み締めるように振り返り、
「それに行けたのがよかったな…」
などと呟いた。
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中居正広の父・正志さんの出身地・誕生日・仕事(職業)などプロフィールは?
「中居正広が父・正志さんの壮絶がん死をラジオで告白…手料理で父の闘病を支え」
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この日、中居は正志さんが亡くなる約1カ月前から亡くなった後までを中心に語った。
冒頭では、ネットニュースなどで父親の件が大きく報じられたことを驚きを示し、
「そんなつもりじゃなかったのに」
と話しつつ、正志さんが亡くなる10日ほど前に
生まれ育った神奈川・藤沢の鵠沼(くげぬま)や辻堂へドライブに出掛けたエピソードを明かした。
父から「ドライブをしたいな」というメールを受け取った中居は、
車椅子で移動する父でも楽に移動ができるよう、フルフラットになる
ワンボックスカー(中居の所属事務所の車)2台を手配。
幼少時のアルバムを持参してドライブへ出発、昔の写真を再現するかのように、
2人でキャッチボールや素振りをした各地を巡ったことも吐露。
5時間しか外出許可がなかったため、慌ただしいスケジュールとなったものの、
「楽しかった」としみじみと振り返った。
「最初鵠沼へ行ったのかな、僕の小さい頃のアルバムを持って行って。
ここで壁当てしたとか素振りしたとか再現して。写真照らし合わせながら。
オヤジもちょっと興奮したりして」
と、一言一言、噛み締めるように振り返り、
「それに行けたのがよかったな…」
などと呟いた。
中居正広(談):
僕たちには何ができるのかなって。亡くなる10日くらい前に、「藤沢に行こう」と。
僕の生まれ育ったところ、藤沢に行って、生まれ育ったところを回ろう、と。
鵠沼(くげぬま)と辻堂に行こう、と。それでこれはウチの会社にも助けてもらいまして。
「ヒロちゃん、そろそろドライブでも2人でしたいな」ってメールは来てたのよ。
俺はその日は無理だったのかな。
「おお、良いね。どういうコースが良いか考えといてな」ってメール送って。
そしたら、「なんだ、今日じゃないのか?」って。
「今日じゃないと、ダメなような気がするな」って。「行けるよ、行けるよ」って。
2人では、やっぱり行かなかったのかな。誰かしらのチビがいたりとか。
地元に行こうってことで。ウチの会社の移動車って、でっかいワンボックスカーみたいなんで。
それを2台。パパは、フルフラットで。毛布で包んで。
もうね、包まれすぎて熱いんじゃないかってくらい包んで。
お父さん、その時期から…1月中旬くらいからずっと車椅子だったんで。
最初、鵠沼行ったのかな。僕の小さい頃のアルバムを持ってって。
そしたら、その住んでるところで、「野球をやったところだ」とか。壁当てだとか。
「俺、ここで素振りやってさ」ってところをぜんぶ再現して。
「ここ、オヤジ覚えてるか?」って。写真と照らし合わせながら、そこに立ったりして。
「ここで死ぬほどやったなぁ」って。オヤジもちょっと興奮してるのかな。
でも、その時、外出許可で「5時間しかもちません」って言われたのよ。
呼吸が多分、もたなくなるって。だから、12時に出て、1時半に着いて。2時間は居れるって。
生まれ育ったところに行って。それがまぁ、楽しかったかな。
お父さんも楽しかったんじゃないかな、アレ。
「お前、ここでケンカしてさ」みたいな話してて。
「俺は覚えてねぇよ。野球しか覚えてねぇよ」って。
「ここで思い切りオヤジが打って、あそこのおばちゃんの家に(ボールを)入れちゃってさ。
オヤジが入れたのに、俺がとりに行って、俺が怒られてさ。
『パパ、パパ』って言ったのに、オヤジ来てくんなかったの、俺、スゲェ覚えてるよ」
って言って、大笑いしてたけど。
「じゃあ、次、辻堂行こうか」って、辻堂に行って。
「ここで酔っ払ってさ、血だらけで帰ってきたよな」って。
ゆるい坂道で、下ったところでウチなんだけど、金網みたいなところがあって、
そこにガガガっって当たってきて、血まみれで帰ってきて。
「お父さん、どうしたの?」「わかんない。気がついたら、血が出てて」って。
次の日になったら覚えてないって。
それから神社行って。行ったら、パパが「ギブ(アップ)だ」って。「病院へ戻してくれ」って。
その時もね、「病院に戻してくれ」って言ったの始めて聞いたのかな。
「家に帰りたい」じゃなくて、「病院に戻してくれ」って。相当苦しかったんじゃないかなって。
(つづく)
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2015-05-17 10:14
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