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浅田真央が復帰会見で着てたワンピースのブランドはFOXEY|フォクシー! [スポーツ]

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浅田真央 復帰記者会見「ザ・アイス2015(THE ICE 2015)」


浅田真央ちゃん、とうとう現役復帰(現役続行)を表明しましたね。

その記者会見(2015年5月18日)の際に着ていたワンピースが上品で可愛いと人気・評判のようです。

やはり当ブログとしては、
このワンピースどこのブランドなのか調べずにはいられません!(笑)







FOXEYフォクシー)でしたね。

シルクのワンピースでオーダーメイドとのこと。60万円もするらしいです……(^^;
エレガントなワンピースで可愛いな~と思いましたが、お値段がハンパねっす・・・(汗)

なお、会見で着たこのワンピースFOXEY MAGAZINE NUMBER 20 でも紹介されています。

FOXEY.jpg


筆者にはとても手の出せる価格じゃありませんが、
「どうしてもコレと同じものが欲しい!」
という熱烈な方がいらっしゃいましたら、
このあたり(※楽天のショップへ飛びます)から探すぐらいしか今のところ方法はないかもしれません。。


最後に。
真央ちゃんが自身の言葉で語る現役復帰への思い。ファン必見……あいや、必聴です!

2015年05月18日 浅田真央のにっぽんスマイル 【現役復帰宣言のため生放送】

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【全文(5)終】中居正広が2週連続ラジオで父親の壮絶な末期がん闘病と最期の日々を語る…体重20キロ台「生き地獄」 [芸能]

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(中居正広さんの父)正志さんが亡くなった後は週に2~3度ほど実家の整理をおこなっていたこと、
現在は落ち着いてきたものの、亡くなった今も何度も正志さんの夢を見たことを語り、

「なかなかうちのオヤジは手強いですね」
「何回も見たんだけど、生きてんじゃんっていう夢を見るのよ。
 これ、起きたときのショックっていうのが……(大きい)」

などと、しみじみと心境を振り返った。

正志さんへの思いをたくさん綴った手紙を棺の中に入れて
一緒に焼いてもらったことも明かした。

2週に渡って亡き父親との思い出を語った同番組の最後では、

「いいお父さんだったよ」
「あっちの世界でも元気にやってるんじゃないかな」

と、心を込めて締め括った。

中居正広(談):

亡くなった後も、週2~3回行って。捨てるものもあったから。
なかなか1人でやるのもヘビーで。ゴミ袋だけで20~30個分あるからね。
でも、チビたちがね、たまに来てくれて。春休みだったから、手伝ってくれて。

高さ1メートル、奥行き30センチ、横20センチくらいのボードがあって。
書類入れみたいなので、薄い引き出しで、どんな書類入ってんのかって思ったら、
みんなTシャツ入ってんのよ(笑)
1枚1枚(笑)Tシャツとか、ゴルフ用のポロシャツが1枚ずつ入ってて。几帳面かって。

でも、なかなかウチの親父は手強いですね。夢見るのよ。
何回も見たんだけど、「生きてんじゃん」って夢を見るのよ。
これ、起きたときのショックっていうのが……
「あれ?なんだよ、生きてんのかよ」って、遊んでるんだよね。

目が覚めたとき、わけわかんないよね。
「どっちが夢かな? こっちが夢かな?」って思っちゃう。
起きたときが夢かなって思っちゃう。

「あ…そうか、死んでんだ」って。
だからもう、2月から3月って、特番シーズンだったんですけどね。
なかなか手強かったですよね、お父さんは。
でも、いいお父さんだったよ。最後ね、お棺の中で手紙を書いて。
お父さんへの思いをいっぱい書いて、一緒に焼いてもらったかな。

そんなんで、落ち着いたということなんで、
このような時期に、お伝えすることになったんですけども。
テレビにも、『27時間テレビ』とか、『めちゃイケ』とかも出てたしね。
ライブとかのVTRとかも出てたりしたから。
(事情を)知ってる方もいらっしゃるのかなって思いますけど。

あっちの世界でも、元気でやってるんじゃないのかなって思いますけども。

いろいろと、お父さんの話とか、この番組等でお伝えさせていただきましたので、
とりあえず2月19日に亡くなったこと、ご報告させていただきました。 (終)

あらためて、中居正志さんのご冥福を心からお祈り申し上げたい。

1日1時間で1億円稼ぐ川島和正

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中居正広が父・正志さんの壮絶がん死をラジオで告白…手料理で父の闘病を支え
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正志さんの亡くなる1ヶ月ほど前に収録をしたというテレビの特別番組:
「中居正広の『終活』って何なの? 僕はこうして死にたい」(フジテレビ系)
は、死を迎えるまでにどのような準備を整えておくべきかを学ぶ番組で、
この収録に際しては、

「この時期に厳しいテーマだな…」

と感じていたことを告白。

番組の収録前に正志さんが救急搬送され中居が病院に出向くと、
正志さんは台本に興味を示したそうで、

「これなかなかタイムリーなんだけど、今日の収録でさ
 『僕はこう死にたい』って番組なんだよって。そうしたら台本見せてくれっていうの。
 これ厳しいぜ、死ぬ準備をどうするかっていう内容だから、と。
 でも『見せてくれ』って。じゃあいいよ、2冊あるからこれ1冊(あがるから)なって」

その後、正志さんが2月19日に亡くなり、
翌日は友引だったためお通夜が21日におこなわれたが、
この日が奇遇にも同番組のオンエアの日だったそう。

「お通夜終わったら家でやっぱりみんなで見るのよ、それ。でも俺、見れなくてさ…」

と、かすれた声で当時のことを振り返った。

偶然にも父が死去した2月19日は甥(長兄の子供)の誕生日で、
遺産相続のために戸籍を調べていたところ、両親の結婚記念日も2月21日だったことが判明。

「こんなことあるかな」

などと偶然に驚きながら、

「こんなに数字がそろったら忘れるわけがない。
 お父さんは素晴らしい人生を送ってきたから、
 この日を忘れないように神様が与えてくれたんじゃないかな」

と、大好きな父親を改めて偲んだ。

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中居正広(談):

面白いもので、(父親が)亡くなる1ヶ月くらい前に、
僕の番組で、「僕はこう死にたい」っていう特番があって。

たまたまなんだけど。
本当は、去年の夏にやるって言ってたんだけど、ズレてこうなって。

俺の中では、なかなか厳しいなぁって思って。タイムリーだなぁって思ってて。
でも、「仕事モードになれば大丈夫だ」って思って。

その夜も(実家へ)遊びに行って。
(父親の勧める酒を)飲んじゃって、帰れねぇやってなって。
次の日、その収録があって。
台本、かばんの中に入れてなかったのよ。休みだったから。
家に帰って、入れて次の日に行けばいいと思ったんだけど。

「朝帰って、根性でやればいいか」って思ってたんだけど、
その日、バタバタって聞こえて。「どうした?」って訊いたら、
「もうダメだ…」って言うから。
「救急車か?」「救急車」って。それでまた行って。

点滴打つっていうから、その間にどうしようかなって言ってたら、中澤さんが来てくれて。
台本を持ってきてくれて。点滴してるときに見てたら、「それ何だ?」って。
「いや、なかなかタイムリーなんだけどさ、今日の収録でさ、『僕はこう死にたい』って番組やるんだよ」って。

「それ、台本見せてくれ」って言うんだよ。
「いや、これ厳しいぜ。死ぬ準備をどういう風にしていくかって番組だよ」
「いや、見せてくれ」って。
「いいよ。じゃあ、2冊あるから、これ1冊な」って(渡した)。

そんなんで、結局、オンエアは観れなかったのかな。
2月19日に亡くなり、次の日がお通夜だったんですけど。
友引があって、1日ズレたのかな。
21日がお通夜で、22日がお葬式。
それで4月8日が四十九日だったのかな。

そしたらさ、2月19日が、甥っ子の誕生日なんですよ。一番上の兄ちゃんの子供。
22日が、姪っ子の誕生日なの。
19日に亡くなるってこともあるし、友引があって、ズレてお葬式になるっていうね。

それで、お通夜の日が、「僕はこう死にたい」っていうオンエアの日なの。
お通夜終わって、家でみんながやっぱりそれを観るのよ。俺、観れなくてさ。
4月8日が、2番目の兄ちゃんの子供の誕生日で。
こんなに重なることがあるのかなぁって。

でも、その後に遺産相続とかあるから、銀行に行ったりとか。
戸籍が必要だからって、北海道の戸籍、藤沢の戸籍とか。
そうしたら、川崎に住んでた戸籍とか出てきて。
よく見たらさ、ウチのお父さんとお母さんの結婚記念日が、お通夜の日の2月21日だったの。

こんなことあるかなって。いろんなこと、忘れるわけないよね。
この数字が揃っちゃったら。
それだけお父さんは、素晴らしい人生を送ってきたから。
忘れられないようにって、神様が与えてくれたんじゃないかなって思うけどね。

つづく

1日1時間で1億円稼ぐ川島和正

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正志さんが亡くなる5日ほど前に実家で中居自身の作ったカレーが最後の食事となったと語り、

「3口くらい食べたかな、『うまい』って。たぶん味は分かってなかった。
 味覚ないから。結局、最後のご飯が俺のカレーだったかな」

などと、しみじみ思い出を振り返った。

中居正広(談):

亡くなる5日くらい前かな。地元に行った次の週の土曜日かな。
「何しよう」って。お父さんの家に帰る計画を考えてるからなって。
ずっと帰ってなかったから。とにかく、万全の体調を病院でやって。

「あのメシ、また持ってくるからな」って。それが最後だったのかな。
忘れもしない、前の日が『Mステ』だったのかな。『華麗なる逆襲』をやったときかな。
その次の日から、「仕込みだ」って。
カレーを具材だけ買って切って、あとは入れるだけにしておこうって。
炒めて、そのまま置いておいて、みたいな。

あとは“バクダン”っていって、
お父さんが好きなマグロとタコとイカとホタテとエビを微塵切りにして。
納豆で混ぜて、それをノリで巻いて食べるっていうのがあって。
それと、イカとショウガとミョウガの、いつものパターンだろうって。
あとは、焼き鳥を買ってきて、細かく切っておいて。

それで(父親の家に、父親と)泊まろうかなって思ったんだけど、
夜中3~4時くらいに帰ったかな。次の日も、昼くらいに病院に戻ったんだけど。
「しんどい、しんどい」だったから。

その時、10人くらい来てて。東京の友達、地元の友達とか。
ほんで、マンションの玄関の下まで来てるんだけど、「無理だ」って。
「なんでだ?」って。「どうした、パパ。もう家、そこじゃんか。どうした?」って。
「無理だ。苦しい」って。

「じゃあ、帰ろうか」って。
それで、また筆談で「俺は生きてきてな…」って。
「分かったから。じゃあ、帰ろうか」って。
それで、「じゃあ、帰ろうか」って言ったら、「いや、やっぱり行く」って書いて。

「行くか」って。「そのかわり、大人5人くらい必要だ」って。
「任せてくれ、大人10人以上いるから」「そんなにいるのか、今日」って。
それで、布団ごと車椅子に乗せて。

「色々作ったけど、何が食べたい?」「カレー食べたい」って。
「ご飯は?」「ルーだけ食べたい」って。
それでもね、最後、何日か前からずっと何も食べてなかったから。
3口くらい食べたのかな。
「もう一口くらい食べるか?美味いか?」って言ったら、「美味い」って。

でも多分、味は分かってなかったね。もう味覚がないから。
俺が作ったのにっていうプレッシャーで食ってくれればいいなって思ったの。
せっかくヒロちゃんが作ったんだからって、食わざるをえないって感じで、
無理して食べてくれたんだろうなって。
結局、それが最後だったね。最後のご飯が、俺のカレーだったかな。

亡くなるときも、体重も20キロ台だったかね。骨でしたね。

それで、地元戻った時のビデオをみんなで観て。編集してさ。
カーペンターズが好きだから、カーペンターズのBGMを編集で入れて。
でも、途中でもう、目を瞑ってたね。

それから病院戻って、3~4日くらいで亡くなったんだけど。
その間、目を覚ますことはなかったね。
多分、だから、あれは最後に力を振り絞ったんじゃないかな。

つづく


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この日、中居は正志さんが亡くなる約1カ月前から亡くなった後までを中心に語った。

冒頭では、ネットニュースなどで父親の件が大きく報じられたことを驚きを示し、

「そんなつもりじゃなかったのに」

と話しつつ、正志さんが亡くなる10日ほど前に
生まれ育った神奈川・藤沢の鵠沼(くげぬま)や辻堂へドライブに出掛けたエピソードを明かした。

父から「ドライブをしたいな」というメールを受け取った中居は、
車椅子で移動する父でも楽に移動ができるよう、フルフラットになる
ワンボックスカー(中居の所属事務所の車)2台を手配。

幼少時のアルバムを持参してドライブへ出発、昔の写真を再現するかのように、
2人でキャッチボールや素振りをした各地を巡ったことも吐露。

5時間しか外出許可がなかったため、慌ただしいスケジュールとなったものの、
「楽しかった」としみじみと振り返った。

「最初鵠沼へ行ったのかな、僕の小さい頃のアルバムを持って行って。
ここで壁当てしたとか素振りしたとか再現して。写真照らし合わせながら。
オヤジもちょっと興奮したりして」

と、一言一言、噛み締めるように振り返り、

「それに行けたのがよかったな…」

などと呟いた。

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中居正広(談):

僕たちには何ができるのかなって。亡くなる10日くらい前に、「藤沢に行こう」と。
僕の生まれ育ったところ、藤沢に行って、生まれ育ったところを回ろう、と。

鵠沼(くげぬま)と辻堂に行こう、と。それでこれはウチの会社にも助けてもらいまして。

「ヒロちゃん、そろそろドライブでも2人でしたいな」ってメールは来てたのよ。

俺はその日は無理だったのかな。

「おお、良いね。どういうコースが良いか考えといてな」ってメール送って。
そしたら、「なんだ、今日じゃないのか?」って。
「今日じゃないと、ダメなような気がするな」って。「行けるよ、行けるよ」って。
2人では、やっぱり行かなかったのかな。誰かしらのチビがいたりとか。

地元に行こうってことで。ウチの会社の移動車って、でっかいワンボックスカーみたいなんで。
それを2台。パパは、フルフラットで。毛布で包んで。
もうね、包まれすぎて熱いんじゃないかってくらい包んで。

お父さん、その時期から…1月中旬くらいからずっと車椅子だったんで。
最初、鵠沼行ったのかな。僕の小さい頃のアルバムを持ってって。
そしたら、その住んでるところで、「野球をやったところだ」とか。壁当てだとか。
「俺、ここで素振りやってさ」ってところをぜんぶ再現して。

「ここ、オヤジ覚えてるか?」って。写真と照らし合わせながら、そこに立ったりして。
「ここで死ぬほどやったなぁ」って。オヤジもちょっと興奮してるのかな。

でも、その時、外出許可で「5時間しかもちません」って言われたのよ。
呼吸が多分、もたなくなるって。だから、12時に出て、1時半に着いて。2時間は居れるって。

生まれ育ったところに行って。それがまぁ、楽しかったかな。
お父さんも楽しかったんじゃないかな、アレ。
「お前、ここでケンカしてさ」みたいな話してて。
「俺は覚えてねぇよ。野球しか覚えてねぇよ」って。

「ここで思い切りオヤジが打って、あそこのおばちゃんの家に(ボールを)入れちゃってさ。
オヤジが入れたのに、俺がとりに行って、俺が怒られてさ。
『パパ、パパ』って言ったのに、オヤジ来てくんなかったの、俺、スゲェ覚えてるよ」
って言って、大笑いしてたけど。

「じゃあ、次、辻堂行こうか」って、辻堂に行って。
「ここで酔っ払ってさ、血だらけで帰ってきたよな」って。
ゆるい坂道で、下ったところでウチなんだけど、金網みたいなところがあって、
そこにガガガっって当たってきて、血まみれで帰ってきて。
「お父さん、どうしたの?」「わかんない。気がついたら、血が出てて」って。
次の日になったら覚えてないって。

それから神社行って。行ったら、パパが「ギブ(アップ)だ」って。「病院へ戻してくれ」って。
その時もね、「病院に戻してくれ」って言ったの始めて聞いたのかな。
「家に帰りたい」じゃなくて、「病院に戻してくれ」って。相当苦しかったんじゃないかなって。

つづく


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SMAP(スマップ)の中居正広(42歳)が去る2015年2月19日に
実の父親・正志さん(享年79歳)を癌(がん)で亡くしていたことを
自身がパーソナリティを務める前週のラジオ番組
「中居正広のSome girl’SMAP」(ニッポン放送・土曜午後11:00から)
で前週に告白していたが、今週5月16日放送の同番組においても
父・正志さんの死について改めて詳しく語り、思い出を振り返った。

先週の放送では、
「2月19日に私のお父様が亡くなりました。享年79、4月2日に80歳だったんですけど、
 80前に亡くなりました。四十九日を4月8日に滞りなく済ませました」
と報告。

先週の過去記事で詳しく書いたが、
正志さんはジャニーズタレントの家族としては極めて異例の存在で、
「27時間テレビ」「めちゃイケ」などのバラエティー番組に数多く出演。
3人兄弟の末っ子である中居のことを愛情を込めて「ヒロちゃん」と呼ぶなど、
微笑ましい親子のやりとりを展開した。
SMAPファンにとどまらず、広く一般の視聴者にも好評を博していた。

正志さんは2013年2月に肺がんと診断され、3月に片方の肺の摘出手術。
同年秋にリンパに転移し、放射線治療などを経た後、
昨年5月か6月には喉頭がんが見つかり、8月に手術を受けた。
手術から治療期間、退院して一緒に過ごした期間などを振り返ったが、時間が不足し、
最期の1ヶ月については
「来週、話そう」と締めくくっていた。

今週の番組では、より一層に詳しく最期の日々について語り、
亡くなる前に正志さんが「家で過ごしたい」と病院を嫌がり
「ホスピスに入れてくれ」「今日の苦しみはもうダメな苦しみだ」
などと弱音を吐いていたこと、
「闘病生活、介護生活とはこういうことなんだ」
と痛感したことを正直に振り返り、
その壮絶な闘病については、「生き地獄」とさえ表現した。

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中居正広(談):

先週、僕のお父さんが今年2月19日に79歳にして亡くなりまして。
お葬式も密葬で、四十九日も滞り無く終わったということで、
僕にとっても、だいぶ落ち着いてきたということで。
この時期の報告になって、申し訳ないな、と思いながら。
ちょっと、時期をずらさせていただきました。

先週、亡くなる1ヶ月くらい前まで話したのかな。入退院をずっと繰り返して。
まさに闘病生活ってこういうことなのかなっていうのと、家にいるときは介護だよね。
介護生活って、こういうことなんだなって。

本当はこんなこと言ったらアレですけど、僕はこの8月に入院して……
……3ヶ月入院して、それから入退院を繰り返してるパパを見てたらね、
本当に申し訳ないけど、生き地獄だね。ずっと痛いんだって。ずっと苦しいんだって。

それで、いつもメールがさ、去年、3ヶ月入退院を繰り返してから、
ケータイを開けただけで、「元気ですよメール」っていうのが送られてくるようにして。
「起きたよ」って。それがさ、また朝早いんだ。
パカって開けただけで、「パパ 元気ですよメール」っていうのがね、送られてくるのよ。
「あ、今日、起きたんだ」って。

それで、メールでやりとりしてても、
「今日の苦しみは、もうたぶんダメな苦しみだ」とか。
「もう、ホスピスを頼んでくれ」とか(笑) いろんなのがきて。
こっちも、気持ちが沈むんだよね。
でも、沈んでる場合じゃないっていうか。
親父は、もっと苦しい思いをしてるから。

「耐えられない」とか言ってる場合じゃないなって。
病院に行けば、また違うスープを作って。クラムチャウダーとか。
野菜…にんじんだとか、玉ねぎを細かくしたコンソメスープとかさ。

面白いことに、最初に持って行った水筒があるじゃん。水筒型弁当あるでしょ。
食べ終わるのが、2日間くらいかかるかなって思ってさ。
次、作ろうと思ったら、弁当箱がないの。それでまた、買いに行かなきゃいけないの。

「また、これ食べな」って言って。
その日、(弁当箱を)持って帰ればいいんだけど、忘れちゃうの。
また買わなきゃいけなくて。弁当箱、4つ買ったからね(笑) ぜんぶ同じなの。
温かいのをずっと保存できる水筒と、冷たいのを保存できる水筒っていうのがあって。

つづく

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中居正広の実父親・正志さんの家族構成、実の母親や兄など家族のプロフィールは? [芸能]






中居正広の実家の家族構成は、実父親・実母親・実兄2人・中居本人の5人家族。

このたびお亡くなりになったことが判明した父親の正志さんに、
母親の中居絹代さん、長男の兄の中居イサオさん、次男の兄の中居マサユキさん。


中居の父・正志さんの職業は(ご本人いわく)ごく普通のサラリーマンで、
右目の上辺りに傷跡があるなど、パッと見はちょっと怖そうに見えるけれども、
実際の性格はとても優しい父親だったようだ。

ちなみに右目の上の傷(24針も縫ったとのこと)は、
幼い頃に馬から落ちた時にできた傷であるらしいことを、
中居が以前「笑っていいとも!」(1996年6月14日放送)で語っていた。


中居の母・絹代さん(年齢は不明)は、
しっかりした母親で、子どもの躾けには非情に厳しく、常に働いていたという働き者。
前記事で書いたように、正志さんだけの収入では家族を養っていくのは厳しかったため、
母親の絹代さんも家計を支えるためパートで働いていたようだ。

中居がテレビなどで母のことを語ることは滅多にないが、
「コンサートに来たら、膝を開けて座ってスルメイカを食ってるんだぜぇ~」
などと明かしたこともある。

また、絹代さんは3人目の子どもは女の子を望んでいたらしく、
そのため3男として生まれた中居正広のことを女の子のように育てたかったのか(?)
中居が幼少の頃の写真には、スカートを履いている写真も残っているそうだ。

一番上の兄の中居イサオさんは、年齢は中居よりも5つ年上で、
中居が大好きな「お兄ちゃん」。
既に結婚して3人の子供にも恵まれ、奥さんの実家の静岡県で暮らしているという。
職業については、運転手やスーパー勤務など諸説あるが、真相は定かではない。

イサオさんは子供の頃はかなりやんちゃなヤンキーだったようで、
中居もその影響をかなり受けたようだ。


一番上の兄イサオさんと中居が活発なタイプであるのに対して、
二番目の兄の中居マサユキさんは文化系だったとのこと。

中居からはいつも「ひ弱」などとからかわれているマサユキさんだが、学業は優秀。
高校卒業後は一浪して明治大学に入学。
就職してサラリーマンとなった後も、
しばらくは母親の絹代さんと一緒に藤沢に住んでいたとも言われている。


いずれにしても、中居家はとても仲の良い家族のようだ。

一般的に、なかなか家族の情報がオープンにならない芸能人
――しかもジャニーズのなかでも最高に有名なグループのリーダー――
にあって、中居の家族はずいぶんオープンなほうだといってよいだろう。

私見だが、中居ほど自分の家族をよく話題にするジャニーズも珍しいと思う。

とりわけ父親・正志さんは、話のなかに登場するだけでなく、
しばしばご本人が実際にテレビに登場することもあった。
このようなジャニーズアイドルも、あまり前例がないんじゃないだろうか?

もちろん、昨今のバラエティー番組にあっては
私生活の部分もさらけ出さなければならないという人気商売ならではの事情もあるだろう。

ところが、父親とのエピソードを話して、
父親と共に番組に出演しているときの中居は、
そんなこととは関係なく、心底嬉しそうなようすにも感じられた。



ジャニーズのメンバーであることと家族への愛情とは、
中居のなかでは当たり前のこととして、ごく自然に共存しているのかもしれない。

「けっして裕福ではない家庭で育った」
という中居は、デビューした月から毎月1万円をコツコツ貯金し、
95年末までに貯めた50万円を実家に帰って置いてきたという逸話もある。
父・正志さんへ外車をプレゼントしたこともそうだ。

これほど家族思いな中居にとって、
最愛の父・正志さんの死は、言葉には表せないほど辛かったことだろう。


あらためて、正志さんのご冥福を心からお祈り申し上げたい。





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中居正広の父・正志さんの出身地・誕生日・仕事(職業)などプロフィールは?
中居正広が父・正志さんの壮絶がん死をラジオで告白…手料理で父の闘病を支え
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中居正広の父・正志さんの出身地・誕生日・仕事(職業)などプロフィールは? [芸能]

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前記事
中居正広が父・正志さんの壮絶がん死をラジオで告白…手料理で父の闘病を支え
で書いたように、
SMAP(スマップ)仲居くんの父・中居正志さんが2月に死去していたことが明らかになった。

故人を偲ぶ意味でも、バラエティー番組にも出演していたという
父・正志さんのプロフィールについて、当記事では触れてみたい。

正志さんは1935年(昭和10年)生まれ、出身は北海道の岩内町出身で、同町には
かの有名な文豪・夏目漱石や、歌手の中島みゆきさんも在住していたことがあるようだ。

岩内町は人口1万5千人と小さな町だが、
正志さんはこの故郷に愛着があるようで、東京に住んでいるときにも
都内で実施されていた岩内町内会に喜んで参加していたそうだ。

以前、正志さんがバラエティ番組「めちゃイケ」で中居正広さんと共演した際は
首に白のタオルを巻いて出演しており、
まるで北海道の大自然の中にある畑を想像させるかような風貌であった。


正志さんの仕事(職業)は、インタビューにてご本人いわく
「普通のサラリーマン」だったらしいが、
(ただ、正志さんは働くこと自体が嫌いだったようで、職を転々としていたともいわれる)
中居本人の過去の発言によれば、かつての中居家はかなりの“貧乏”家庭だったようだ。

・腹一杯ご飯が食べられなかったため、水道水をご飯にかけた
 『水かけご飯』を食べて空腹を満たしていた。
・同様の理由により、中居兄弟は「バターと醤油で『バターご飯』や、
 チューブ入りのワサビと酢をかけての『ワサビご飯』を考案した。
・リンスは、まず洗面器にお湯を張り、薄めてから髪の毛につける。
・自宅は天井が低く、間取りは4畳一間と3畳半一間の狭い家で、
 1部屋で一家5人が寝ていた。

さらに、中居いわく、父親・正志さん関係するエピソードはこうだ。

「(我が家は)週2回しかお風呂に入ることができなかった。
 日曜日は必ずなんだけど、その前は水曜日か木曜日なの。
 お風呂っていってもシャワーはないから、夏場でも水曜日か木曜日なの。
 そうすると水・木に(中居家の)3人兄弟全員が授業でプールの日になると、
 夏でもお風呂(入浴の機会)がなくなるのよ。
 で、オヤジがブチ切れて
 『お風呂に入らせろー!現場にプールはないんだよ!』
 って真水でブルーのホースで寒がりながらシャワーを浴びてた。
 真水だから夏でも寒いんだよ。」


また、外食といえば、
牛丼の吉野家は価格が高いため利用できず、
たまにマクドナルドへ行けるぐらいであったとのこと。

マクドナルドでも、一番値段の安いハンバーガーと、
ドリンクもSサイズしか注文してはいけなかったそうだ。

(たしかに、中居よくバラエティー番組等で、
 「値段の高い肉が好きではなく、安い肉のほうが美味しい」
 などと言っていた気がする・・・)


過去には、そのような“貧乏”生活を送っていた中居であったが、
その後SMAPで大成功を収め、正志さんに何百万円もする高級外車を贈っている。

2人の強い絆が垣間見えるだけに、
やはりこのたびの悲しみの深さは一体いかばかりかと思わずにはいられない。

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SMAP(スマップ)のリーダー・中居正広(42歳)が、
自身のラジオ番組「中居正広のSome girl’SMAP」
(ニッポン放送・土曜日午後11:00から)
に5月9日出演、
自身の実父・中居正志(まさし)さんが、癌(がん)のため
去る2015年2月19日に享年79歳で亡くなって死去していたことを告白した。
(すでに近親者らで密葬をおこない、4月8日には四十九日法要も済ませていたとのこと)

正志さんは北海道出身。中居正広がSMAPとして人気を博してからは、
「めちゃ×2イケてるッ!(めちゃイケ)」「27時間テレビ」(フジテレビ系)
などのバラエティー番組で中居と共演したり、
2011年末にはNHK紅白歌合戦にリハーサルを見学に訪れ、
中居の結婚について発言するなど、メディアにもたびたび登場していた。

メディアには映らないところでも、
東京・渋谷のNHKホールでおこなわれるNHK紅白歌合戦のリハーサルには
毎年のように足を運び、
客席からステージに立つ息子の姿を密かに見守っていたという。

同時に、メディア関係者へは「息子をよろしくお願いします」と挨拶を欠かさず、
“名物”父親としても知れわたっていたようだ。

また、3人兄弟の末っ子である中居のことを
バラエティー番組でも愛情を込めて「ヒロちゃん」と呼ぶなど、
微笑ましい父子のやりとりを見せ、SMAPファンのみならず、
広く一般視聴者からも“仲良し父子”として知られ、好評を博していた。




自らの言葉で直接ファンへ父親・中居正志さんの死を報告


中居は今回のラジオ番組まるまる全部を使って、
亡き父との最後の日々を詳細に振り返った。

中居は番組の冒頭において、

「報告しなければならないことがあります」

と切り出し、ゴールデンウイークを振り返るなどした後、

「言わなきゃいけないことがあるのか…」

と1曲を挟み、

「だいぶ落ち着きましたので、この時期なんじゃないかと思いまして、
 勝手にこの時期にさせていただきます。
 個人的なことですけど、2月19日に私のお父様が亡くなりました。
 享年79、4月2日に80歳だったんですけど80前に亡くなりました。
 四十九日を4月8日に滞りなく済ませまして。
 すぐ(報告するの)が良かったと思いましたが
 この時期になってしまいました」

「僕の家にも、5センチ×5センチぐらいの箱の中に骨があります」

などと、淋しさを滲ませながら切々と語った。


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中居正広の父親・正志さんの壮絶な末期がん闘病生活


正志さんの“壮絶な” がんとの闘いも打ち明けた。

2年前の2013年2月に肺がんであることが判明し、
同年3月に8時間に及ぶ大手術で片方の肺を摘出。

この手術当時は野球のWBC東京ラウンドが開催されている時期で、
中居もWBCの仕事へ向かう直前まで手術に付き添っていたという。

同年の秋にはリンパへの転移が発見され、週に6日もの放射線治療を受け、
一時退院して昨2014年5月にはハワイ旅行へ出掛けられるまでに回復したそうだ。

しかし、ハワイ旅行の直前には喉頭がんが発見され、
いったん旅行を断念しかけたこともあったものの、それでも

「明日、明後日、(急に)亡くなることはないと(医師に)言われて行った。
 プールも行って、ゴルフもやって、酒もちょこちょこ飲んだのよ」

バルコニーでも食事を摂るなど、楽しい時間を過ごしたとの思い出を明かした。


旅行後の同年8月には再び入院しての手術となった。
中居はこの時期のことについて、

「いろんなやり方があると言われて手術し、3カ月かな入院してましたが、
 その約100日間、飲まず、食わず、しゃべれず。
 これはつらかったね。何もやってあげられないからさ。筆談になっていたから」

と語った。

その後も、

「最後は胸の肉をのどに移植するとか大きな手術を繰り返したんだけど、
 お父さんも気持ちが持たなくなるんだよ。
 点滴の生活だから体重も80キロ近くあったのが40キロ台になって…」

と説明した。

正志さんは食べられるようになったら何を食べたいかのリストを書いていたというが、
その後、昨年11月末か12月ごろに退院。家族みんなでお祝いに寿司を食べに行ったという。

ただ、やはり喉の調子はよくなく、入退院を繰り返したそうだ。

その後は、3日に1回行っていたお見舞いが1日おきになり、
最後は毎日行くことになったことなど、落ち着いた口調で振り返った。

「俺、この12月・1月・2月の3カ月で、救急車に4回乗ったからね」

そんな多忙な最中、今年2015年1月には
「病院のメシはまずい」と漏らした父のために、
スケジュールを調整し、自身でシチューやおにぎりなど
自ら手料理を作って看病したこともあったという。

中居は「なかなかマメなんだ、俺」とおどけつつも、

「こんなにまずいおにぎりは初めてだ」

と正志さんからダメ出しされた思い出についても
しみじみと語った。

(死去の前の)最期の1ヶ月間の出来事については、
番組の終了時刻に近づいたため

「来週、話そう」

と次回に語ることとして、番組はエンディングを迎えた。


放送終了直後にはTwitter(ツイッター)のタイムライン上で、
正志さんの死について

「つらいことを自らの言葉で伝えてくれてありがとうございます」
「尊敬するホントに」
「一生懸命お料理してあげたんだ」
「多忙なのに看病出来るだけのこと」

など、中居の献身的な看病と家族愛を称えるツイートが数多く並んだ。


また、「めちゃイケ」などのバラエティー番組で
中居と共演したこともある正志さんについて、

「パパ、素敵な人だったよ。みんな知ってる」
「こんな人を育てあげた中居パパ最強」
「素敵な親子関係」
「冥福をお祈り致します」

といった書き込みも目立った。


ラジオ番組後にネット配信されたニュース等で
正志さんの訃報を知ったファンなどからは、死を悼む声が溢れているほか、
気丈に報告した中居の姿勢を讃える声もあがっている。

「中居君、本当にプロだな」
「プロとして気丈に振る舞った中居正広は、尊敬に値すると思う」
「とても絆の深い親子の印象でした。お父さんの分も中居クンが笑顔で!」


それにしても、プライベートでこのように壮絶な闘病生活があったことを、
ファンおよび関係者のうち一体どれほどが気付いただろうか。

テレビ番組など、芸能人としての仕事上では微塵もそれ感じさせなかった。

さすがプロフェッショナルだと感じると同時に、
中居本人の気持ちに思いを馳せると、その悲しみの大きさは想像するに余りある。

正志さんのご冥福を心から深くお祈りしたい。

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